ツール・ド・フランス2017 [fr]

 ツール・ド・フランスの選手たちが7月1日、ドイツのデュッセルドルフをスタートしました。

 自転車レーサーたちは7月23日まで34県を横断し、隣国3カ国を駆け抜けます。沿道で選手を応援する観客は1,000万人以上、そのうち20%がヨーロッパ人をはじめとする外国人です。さらに世界中から何百万人ものファンが声援を送ります。

 海外から幅広い注目を集める自転車ロードレース「ツール・ド・フランス」は、その舞台となるフランスやヨーロッパの地域色やスポーツ選手、スポーツ実践に固有の分かち合いという価値観を際立たせる機会です。

ツール・ド・フランスはヨーロッパ的、国際的なレース

 ヨーロッパ経済共同体を設立したローマ条約の調印60周年を迎える中、「ツールとヨーロッパ」展がパリのヨーロッパ・外務省で開催中です。本展ではツール・ド・フランスの極めてヨーロッパ的な歴史を紹介するとともに、諸国民間の友情とヨーロッパ大陸の平和の実現をめざす動きの中で、市民社会がしばしば先駆的役割を果たすことを示しています。

 実際に1903年の第1回大会で、すでにドイツ人、ベルギー人、イタリア人がフランス人と並んで走っていました。翌年以降の大会では、より幅広い国籍の自転車選手が出場しました(ルクセンブルク、イギリス、デンマーク、メキシコ、オーストラリアなど)。

 周辺国のステージもベルギーのヘント(ガン)をはじめ、ルクセンブルク、イタリアのアオスタ、オランダのマーストリヒト、ドイツのベルリン、オランダのユトレヒトなど少しずつ増えました。今年はドイツをスタートし、ベルギーやルクセンブルクでも熱い戦いを繰り広げます。

ツールとヨーロッパ展

 大会運営会社ASO(アモリ・スポール・オルガニザシオン)とヨーロッパ・外務省は、ヨーロッパの視点から見たツール・ド・フランス史を語り、ヨーロッパ人がどれほどツール・ド・フランスに深くかかわってきたかを示すために協力しました。

 パリを旅行される際には、「ツールとヨーロッパ」展にぜひお立ち寄りください。1903年の第1回大会から2015年に至るまで、ツールの歴史を飾った出場選手、ファン、フランスやヨーロッパの都市を写したモノクロ写真やカラー写真が展示されています。

「ツールとヨーロッパ」展、ヨーロッパ・外務省の鉄柵(パリ7区)で2017年9月18日(月)まで開催中

Photo : F. de la Mure / MEAE
Photo : F. de la Mure / MEAE
Photo : F. de la Mure / MEAE
Photo : F. de la Mure / MEAE
Photo : F. de la Mure / MEAE
Photo : F. de la Mure / MEAE
Photo : F. de la Mure / MEAE
Photo : F. de la Mure / MEAE
Photo : F. de la Mure / MEAE
Photo : F. de la Mure / MEAE
Photo : F. de la Mure / MEAE
Photo : F. de la Mure / MEAE
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Photo : F. de la Mure / MEAE
Photo : F. de la Mure / MEAE
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展示写真の一例

1947年6月27日、第3ステージ、ブリュッセル(ベルギー)からルクセンブルク(ルクセンブルク大公国)へ
1947年6月27日、第3ステージ、ブリュッセル(ベルギー)からルクセンブルク(ルクセンブルク大公国)へ
第2次世界大戦終戦から2年後、1940年以降中断されていたツール・ド・フランスが再開。ベルギーとルクセンブルクを舞台にすることで、ヨーロッパ大陸の和解に向けた動きを印象づけました。国境を再び軽々と越えた大会。
1958年6月26日、第1ステージ、ブリュッセル(ベルギー)からヘント(ベルギー)へ
1958年6月26日、第1ステージ、ブリュッセル(ベルギー)からヘント(ベルギー)へ
1958年、極めてヨーロッパ的であるツール・ド・フランスにとって、ブリュッセルは必然の通過点。ブリュッセルをヨーロッパ経済共同体の首都に定めたローマ条約の調印から1年、この都市では第2次世界大戦後初の万国博覧会が開催され、世界中から観客が訪れていました。この万博のために建設されたモニュメント「アトミウム」は今日、ヨーロッパの中枢であるブリュッセルのシンボルの一つです。
1987年7月2日、第1ステージ、西ベルリン(ドイツ連邦共和国)から西ベルリンへ
1987年7月2日、第1ステージ、西ベルリン(ドイツ連邦共和国)から西ベルリンへ
ベルリンの壁崩壊の2年前、ヨーロッパや世界中から参加した自転車選手207人が、ヨーロッパを2つに分断した冷戦の象徴「恥辱の壁」を平和的に併走しました。この年、ポーランド人のレフ・ピアセキーが、東側諸国の選手として初めてマイヨ・ジョーヌを着用。
2015年7月5日、第2ステージ、ユトレヒト(オランダ)からゼーラント(オランダ)へ
2015年7月5日、第2ステージ、ユトレヒト(オランダ)からゼーラント(オランダ)へ
ツール・ド・フランス2015の第2ステージは北海沿岸を走り、オランダの風景の美しさを発見させました。水にぬれた道をこぐ姿も、ツール・ド・フランスの魅力であり、意外性でもあります。

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最終更新日 17/01/2019

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