ピエール・ベルジェ氏死去、フランス大統領府が声明発表 [fr]

 フランス大統領府は9月8日、ピエール・ベルジェ氏の死去を受けて声明を発表しました。

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フランス大統領府声明
ピエール・ベルジェとともに、フランスの市民と芸術の記憶の一部が消え去ります。
彼は多くの者にとって、究極の橋渡し役でした。

 ピエール・ベルジェは、可能なところはどこでも、美と卓越性を生み出すことに没頭した人でした。アーティストたちの友人として、彼らが創作するために是非とも必要である信頼と確信をもたらし、彼らを陰から支えました。それは彼にとって職業ではなく、ベルナール・ビュフェやジャン・ジオノに出会った青年期に目覚めた天職でした。彼は20歳でした。すべてのフランス人が彼とイヴ・サン=ローランを結ぶ愛と強い絆を知っています。彼はサン=ローランの伴侶であり、兄であり、ビュグマリオンであり、庇護者でした。彼なしでは、サン=ローランの才能もあれほど輝かしく開花することは決してなかったでしょう。

 数多くのアーティストが今日、劇場にせよ、フェスティバルにせよ、美術館や博物館にせよ、夢見ることも躊躇されるようなプロジェクトを提案してきたベルジェに思いを馳せています。彼はジャン・コクトー記念館のように、作家の記念館を巨額を投じて改修しました。彼はアーティストたちに、あのよく知られた断固とした声と断定的な口調で、彼らに才能がある、彼らを好きだと単刀直入に言いました。しかしベルジェにとって、愛好すること、援助することだけでは不十分でした。彼にとっては分かち合うことも必要でした。それがサン=ローラン財団とともに最期まで取り組んだことです。彼は生涯を通じて、パリのテアトル・ド・ラテネに当代一流のオペラ歌手や俳優、演出家を招へいしたほか、忘れがたい展覧会や特筆すべき舞台芸術を開催したり、支援したりしました。

 その飽くなき好奇心は、一所に留まることはありませんでした。どの時代のものでも、どの大陸のものでも、美を彼の鋭い審美眼が見逃すことは決してありませんでした。彼の周囲に彼にふさわしい世界を構築し、惜しげもなく私たちを招き入れるため、さまざまな時代やフォルム、キャラクター、才能を一堂に集める術を心得た天才でした。彼は私たちの多くの者にとって、究極の橋渡し役でした。

 世界に心を砕くとともに、世界を理解し、より美しくすることに熱心な行動家だったベルジェは、活動家の枠に留まることはありませんでした。彼は特に同性愛者の立場のため、とりわけすべての人のための結婚に関する法案の採決の際に、その権利向上を粘り強く支持しました。エイズ対策でも世論を啓発し、研究資金を調達するために全力を注ぎました(HIV/エイズ対策支援団体「シダクシオン」の創設メンバー、「アクト・アップ」を常に支援)。ベルジェはグローブ誌、テチュ誌を創刊したほか、最近ではル・モンド紙の再建に携わるなど、プレスの人でもありました。

 政治的信条に熱心だったベルジェは、フランソワ・ミッテランの敬意と友情を得たほか、フランス社会党の複数の党首を支持しました。彼はいかなる闘いにおいても、敵には容赦しませんでした。その歯に衣着せぬ物言いは、時として非難を招きましたが、それは深く全面的に関与していることの裏返しでした。

 ピエール・ベルジェとともに、私たちの文学と芸術の記憶の一部が消え去ります。この記憶を存続させ、フランス文化のために彼が行ったことの重要性をフランス人に理解させるとともに、彼の作品を存続させる役割は、彼の友人と彼に導かれた人たちが果たすことになるでしょう。

 フランス共和国大統領と夫人は、ピエール・ベルジェの配偶者、ご友人、ご遺族の方々に謹んで哀悼の意を表します。

最終更新日 11/09/2017

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