国旗

 フランス第5共和国の象徴である三色旗は、フランス革命下、国王の色(白)とパリ市の色(青・赤)が結びついて生まれました。今日、三色旗はすべての公共の建物に掲げられています。またこの国旗は、民間、軍を問わず、ほとんどの公式式典で掲揚されます。

JPEG - 100.8 kb
「1830年7月」三色旗、ヴァンク・コレクション(1830年)© BnF

 歴史を少し……

 三色旗の歴史は、今でも学問的に明らかにされていません。その起源は未知の部分が多く、そのことがかえって絵に描いたような、さらには詩情をそそるような国旗誕生の物語や逸話――真偽のほどは定かでないにせよ――を数多く生むことになりました。というのも、多くの偉人が国旗の起源に思いを馳せ、思い思いに脚色したとされるからです。

 三色旗の前身は帽章でした。軍人で政治家のラ・ファイエットは自身の回顧録で、バスティーユ奪取の3日後、パリ市庁舎に赴いたルイ16世に対し、「君主と民衆の崇高かつ永遠なる同盟」のしるしとして、王政を表す白とパリ市の青と赤をあしらった三色帽章をつけさせたと語っています。このとき、愛国心の象徴である三色帽章の成功は、すでに確実なものになったのです。

JPEG - 37.1 kb
民間祭典における旗手、ヴァンク・コレクション(1795年)© BnF

 憲法制定国民議会は1790年秋、フランスのすべての軍艦および商船が縦じまの三色旗を掲げるように決めました。旗ざおに近い方が赤、中央が白で他よりも幅が広く、最後が青です。配色は縦方向にせざるを得ませんでした。というのも、オランダの船が1世紀前から世界中の海で、赤、白、青を横方向に配した三色旗を翻らさせていたからです。

 国民公会は1794年2月15日(共和暦2年雨月27日)、国旗を「国の3つの色が垂直の帯状に配色され、青が旗ざおに固定され、白が中央に、赤が空中にはためくように」するよう定めたデクレを発布し、三色旗もようやく最終的な形に落ち着きました。色の順序を決めたのは画家のルイ・ダヴィドだとする言い伝えがあります。

 三色旗は王政復古の1814年から1830年まで姿を消しました。共和主義者たちは1830年7月27日、28日、29日の「栄光の3日間」、シャルル10世への反乱と同志の集結地の目印として、バリケードの上に三色旗を掲げました。その後に王位に就いたルイ=フィリップは、改めてフランスの国旗を青、白、赤の三色旗とし、「国民が三色旗を取り戻す」ことを宣言しました。

 三色旗は再三にわたって存亡の危機にさらされます。1848年2月25日の共和政宣言のとき、反乱者たちは赤一色の旗を求めました。政治家で詩人のラマルティーヌは群集に向かって演説し、国旗を救うべく言葉を尽くしました。

 「……三色旗は祖国の名、栄光、自由とともに世界を巡った。[……]諸君が私から三色旗を奪えば、フランスの対外的な力が半減することをご承知いただきたい。というのも、ヨーロッパは共和政と帝政の旗を、ヨーロッパの敗北と我らの勝利の旗印と見るからだ。ヨーロッパは赤旗を見ても、一党派の旗としか思わないだろう。これはフランスの旗であり、我らが戦勝軍の旗であり、ヨーロッパに対して掲げるべき我らの勝利の旗である。フランスと三色旗は同じ思想であり、同じ威光であり、必要な場合には、我らの敵にとって同じ恐怖である」

アルフォンス・ド・ラマルティーヌ

フランスの国旗 - JPEG
 大小さまざまな出来事に彩られた波乱に満ちた歴史を歩み、あらゆる時代を通じて著名な小説や絵画の中で繰り返し描かれ、両極の色が結びついて生まれた三色旗は、今日、第5共和国憲法第2条で定められたフランス国唯一の象徴なのです。
 
 
 

最終更新日 10/11/2014

このページのトップへ戻る