大沢、クルアン、小山、中村、服部、三國6氏が農事功労章を受章 [fr]

 フランス料理文化センターの大沢晴美事務局長、フランス食品振興会のジャン=シャルル・クルアン・アジア代表、日本料理青柳主人の小山裕久氏、ホテルメトロポリタンエドモントの中村勝宏名誉総料理長、服部栄養専門学校の服部幸應校長が11月10日、フランス大使公邸で行われた叙勲式で、農事功労章オフィシエに叙されました。先に同章オフィシエを受章した株式会社ソシエテミクニの三國清三代表取締役も、今回の叙勲式に出席しました。

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受章者6氏とフォール大使夫妻
写真クレジット : 在日フランス大使館

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大沢晴美氏、フランス料理文化センター事務局長、フランス農事功労章受章者協会事務局長

 大沢氏はモンペリエのポール・ヴァレリー大学留学時代に初めてフランス料理に接して以来、日本でフランス食文化の振興に努めてきました。

 大沢氏が事務局長を務めるフランス料理文化センター(FFCC)は今年開設20周年を迎えます。大沢氏はパリ商工会議所および東京ガス株式会社と協力し、FFCCの創設に大いに尽力しました。

 FFCCでは日本人のプロの料理経験者を対象に、日仏の一流シェフによる料理講習会を日本とフランスで開講し、これまで120人以上のグランシェフによる約300回の講習会が行われ、受講者数は2万人に上ります。

 FFCCが毎年開催する2つのコンクールには、これまで4,000人近くが参加しました。このコンクールは料理だけでなく、ホールサービスも対象にしています(メートル・キュイジニエ・ド・フランス、メートル・ド・セルヴィス杯)。

 大沢氏はフランス農事功労章受章者協会(MOMAJ)の事務局長としても精力的に活動しています。この協会は日仏食文化の重要な交流の場となっています。
 
 
 
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ジャン=シャルル・クルアン氏、フランス食品振興会アジア代表

 クルアン氏は1998年に東京に赴任して以来、フランス食品振興会(SOPEXA)の活動を大きく発展させ、日本におけるフランスのイメージ向上に貢献しました。

 美食と食品の分野における日仏両国の交流を発展させようと、日本全国に広がる食品関連事業者のネットワークを通じて、数多くのプロモーション活動を実施しました。

 クルアン氏はロイヤルパークホテルの嶋村光夫総料理長、藤井商事の藤井克昭社長、フランス料理文化センターの大沢清美事務局長とともに、フランス農事功労章受章者協会(MOMAJ)の設立に尽力し、今日も協会の監査役を務めるなど、MOMAJの活発な活動に寄与しています。

 MOMAJの会員数は現在約80人。日本におけるフランス食文化のイメージアップ活動を数多く展開しています。例えば、日本でも開催されて大好評の「アペリティフの日」も、MOMAJ会員のシェフたちの大きな協力があります。

 クルアン氏は2008年にSOPEXAアジア代表に昇進し、フランス食品・農業・漁業省のためにSOPEXAがアジア地域で進める活動への新たな貢献が期待されます。
 
 
 
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小山裕久氏、日本料理「青柳」主人

 小山氏は現代日本料理界を代表する料理人で、数店舗の日本料理店で采配を振っています。その一方で平成調理師専門学校の校長として後進の育成にあたっているほか、朝日新聞の家庭面に『小山裕久の日本料理で晩ごはん』を連載、NHKの『きょうの料理』に出演するなど、マスコミを通じて日本料理の素晴らしさを伝えています。

 幼少のころから料理への情熱を示し、5歳で最初の料理を作ったという逸話があります。大阪や京都で修業を積んだ後、祖父が1世紀近く前に徳島で創業した老舗料亭「青柳」に戻り、素晴らしい名店として発展させました。

 小山氏は自身の料理を「シンプル、おいしい、美しい」の3つの言葉で表します。日本料理の伝統を守る「古典的」な料理人である一方で、世界各国の料理、なかでもフランスの洗練された食文化に造詣が深い革新的な料理人でもあります。

 小山氏はフランスにおける日本料理の普及に最も貢献した1人でしょう。パリで日本料理の講習会を開催するようになって20年になります。外務省管轄下の国際交流基金の日本食文化アドバイザーも務めました。1990年代初めにパリのフランス料理の名門フェランディ校で、日本人の料理人として初めてフランスの料理人を対象に日本料理の講習会を開いたのも小山氏です。
 
 
 
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中村勝宏氏、ホテルメトロポリタンエドモント名誉総料理長

 中村氏はフランス料理一筋の人生を歩んできました。26歳で渡欧、フランスで14年間を過ごしました。さまざまな地方で研さんを積み、1979年にパリのレストラン「ル・ブールドネ」のシェフとなった中村氏は、日本人として初めてミシュラン・ガイドの1つ星を獲得しました。

 1984年に帰国後、ホテルエドモントで料理長を務めるかたわら、講演会で後進を指導育成したほか、料理コンクールの審査員や、試食会を通した食文化の振興、フランス料理をテーマとした奉仕活動などに精力的に取り組みました。

 その豊かな料理の才能とともに、その寛大さでも知られます。世界の医療団が2002年から毎年行っているチャリティ・ビュッフェに毎回協力しているうえ、2007年に発生した新潟県中越沖地震の被災地を訪れて、「料理ボランティアの会」の一員として活動しました。

 フランス料理文化センター(FFCC)では創立当初から中心的な役割を果たし、フランス農事功労章受章者協会の活動の一環として、小学生を対象とした味覚教育にも積極的に取り組んできました。その教育法は、フランスの著名なワイン醸造学者のジャック・ピュイゼ氏によるメソッドに基づいています。ピュイゼ氏は1980年代にフランスの小学校に味覚教育を導入した味覚研究の第一人者です。

 中村氏が2008年の北海道洞爺湖サミットで総料理長を務めたことも記憶に新しいところです。
 
 
 
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服部幸應氏、服部栄養専門学校校長

 服部氏は栄養問題から高級料理、公共政策に至る幅広い活動により、料理界や食品界で特別な位置を占めています。

 医学博士で、学校法人服部学園理事長、服部栄養専門学校校長を務めています。同校は栄養士・調理師を育成する専修学校で、西洋料理から日本料理、中華料理、製菓、製パンに至るまで、多数のデモンストレーションをまじえながら学際的な教育を行っています。

 同校で講習会を行うために、フランスからも多くの料理人が来日しました。ここでの体験がきっかけとなって、日本の大手ホテルグループとの関係を築いたフランス人シェフたちもいます。

 服部氏は調理や栄養に関する多数の協会のメンバーであるほか、「フランス料理アカデミー」や「クラブ・ガストロノミック・プロスペール・モンタニエ」などのフランスの協会や団体にも属しています。

 食育は今や世界中の公共政策に盛り込まれるようになってきましたが、服部氏は食育の重要性をいち早く提唱し、日本の食育基本法の成立に尽力しました。現在も内閣府の食育推進会議や食育推進基本計画検討会の委員として公共政策の策定に深く携わるなど、この分野の第一人者として熱心に活動しています。
 
 
 
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三國清三氏、株式会社ソシエテミクニ代表取締役

 札幌グランドホテルで修業を始め、東京の帝国ホテルを経て、1970年代に駐スイス日本大使館の料理長に就任、その一方で世界有数の名シェフ、フレディ・ジラルデ氏に師事しました。彼のおかげでトロワグロ兄弟、ポール・エーベルラン、アラン・シャペルなどのフランス料理界の巨匠シェフたちの下で研さんを積むことができました。

 1980年代に帰国後、ビストロでのシェフを経て、東京に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開業、オーナーシェフとなりました。三國氏は現代のフランス料理を日本に持ち込んだ先駆的なシェフの1人です。「ミクニ」をフランス流の高い品質と洗練されたセンスを象徴するブランドに育て上げ、今日ではフランスの食の神髄を味わえるミクニ・ブランドの店は全国15店舗を数えます。

 三國氏はフランス料理をそのまま伝えるだけでなく、生まれ故郷の北海道――北海道知事より「北海道食大使」に任命――の食材を使いながら、さらに洗練、融合、昇華させました。「料理とは、皿の上の一幅の絵」だと考える三國氏は日々、絵画に想を得ながら、日本とフランスの味を1枚の皿に見事に調和させています。駿河湾沖手長海老のポワレや、恩師の1人へのオマージュである「ポール・ボキューズ風」トリュフのスープなどはその好例でしょう。

 三國氏は独自のスタイルを生み出し、日仏双方の食文化の最良部分を引き出しました。「フランス料理でも日本料理でもない日仏料理」と自ら称するように、極めて独創性豊かなスタイルです。

最終更新日 17/01/2019

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